tsuji-cam's HISTORY
専門学校時代A


2年生の夏休み(7月の後半〜)に僕は、
東京に来て初めてのアルバイトをすることになった。
なんと
カメラマンのアルバイトである。
渋谷の109の裏にある道玄坂のPRIMEビルの5Fに
当時(’87頃)
「せいよう広場」という
フランス料理だかイタリア料理だか忘れてしまったが、
洋食レストランがあった。
その店は、
店内にステージがあり
毎日、
マジック・ショーパントマイムギターの弾き語りなどを
披露していて、
月に何度かは一流ミュージシャンが、
ディナー・ショーのような催し物
を開催したりというような、おしゃれなレストランだった。

そこで、
一ヶ月の間を利用して
日本の超一流
JAZZ・SAXプレイヤーである
渡辺貞夫さんが、
BRABASS CLUB’87という
ディナーショーを行うことになっていた。
ただ!
この
「せいよう広場」には、お店の真ん中に
ド〜ンと大きな柱があり、
満員になるとステージが見えないお客さんが出てしまう。
そこで、カメラ2台でそのステージを撮る、
(SW・BOXによる簡易スウイッチング)という
アルバイトである。

バイト料は、一日
5000円
それよりなにより、カメラマンの仕事が出来る

しかも音楽。世界の一流JAZZミュージシャンだ。
(後でわかったことなんだけど、本当にJAZZ界ではすごいメンツだった。)
すごい経験をさせてもらった。
もう一人、フリーのカメラマン(歳は僕より3つか4つくらい上の人)
と一緒にやっていた。
この人は
東京写真専門学校の卒業生、つまり先輩だった。
名前は忘れてしまったが・・・。
ディレクターのひとはフリーの人で
西田洋平さんという方。
今、何をやっているんだろうか・・・・・??
この西田さん曰く、
「何年もこのアルバイトをやっているけど
君が一番センスあるよ。」
と言ってもらえた。
ものすごくうれしかった。
ただ、
このバイトが終了した時に、
「アルバイト料ちょっと待ってくれ・・。」と言われた。
おやおやインチキ臭いのは、格好だけじゃないんだと・・・。

そして、1ヶ月の期間が終了した時に、
お店のPA、照明を担当している人達に
「この店のアルバイトをしてくれないか?」と頼まれた。
仕事は、
音響照明
全く持ってカメラマンとは無関係だが・・・・。
まだ、8月の半ばで、ニューテレスの試験は、まだだったし
(この時すでにニユーテレスを受けることは決めていたが、
ニユーテレスでバイトをしようなんて思いつかなかった。)
僕は、その「せいよう広場」の人達と仲良くなっていたし、
バイトをすることにした。

ただこの時、僕は自動車の免許を取っている最中で、
どちらもバランスよく、学校が始まっても学校も教習所も休まず
がんばってやった。
教習所は10時間オーバーになってしまったけど・・・。

そして10月。
いよいよ
ニユーテレス試験がやってきた。
担任には
「落ちたら次は考えておきなさい」
何て言われたんで、
絶対合格してやる!!
燃えに燃えたもんである。
そして
合格!!
(細かい話はニユーテレス編で書きます。)

アルバイト先の人々も、ニユーテレスの噂(もちろんいい噂)
は知っていて、
「すげぇーじゃん!」と祝福してくれた。
結局この
「せいよう広場」のアルバイトは3ヶ月しか
出来なかったけど、いろいろな経験ができ、
勉強になった。

5年くらい前に、
「サタ☆スマ」で、この時の音響さんにバッタリ再会した。
今は自分で会社を持っているが、
当時の人達と今でも仕事をしているそうだ。
なんか、いいですよね。


そんなわけで、
僕は(株)ニユーテレスに合格した。
12月17日(16日の学校終了とともに)
ニユーテレスの研修アルバイトを開始した。
ここから、
僕のプロへの道が始まった。

PS.
西田さんに
「待ってくれ」と言われた
BRABASS CLUB '87のバイト料の半分
(4万円・8日分)は、
17年たった今も
まだもらっていない・・・・・・。


つづく