tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレス 〜その21

夢で逢えたらの話

今となってはこの番組こそ伝説の番組である。
その後の、『とぶくすり』今の『はねトび』の原型となる若手コント番組が、
この『夢で逢えたら』である。
出演者は、ダウンタウンウッチャン・ナンチャン野沢直子清水ミチコ
ディレクターは、星野淳一郎さんと
吉田正樹さん(現フジテレビバラエティ制作センター企画担当部長。合ってるかな・・・。)
ニユーテレスは、SWに島本さん、
チーフカメラに田中さん(現SJ社長)セカンドに中島さん(現SJ副社長)
3カメは僕らの2つ上の先輩がやっていた。
トータル的に見て、若い演者と同世代のスタッフだった。
たぶん、そういうコンセプトのスタッフ集めだったんだろうと今考えたら思う。

僕は、
この番組が深夜2:30から始まった頃は、
まだ、カメラアシスタントだった。
視聴率が良く、時間帯が早くなり、
土曜の23:30の『パナソニック枠』に移動した時も
まだ、アシスタントだった。

ホリゾントバックに、少ない美術品という
簡単なセットから繰り出されるショートコント。

今思えば、舞台のセットみたいだったなと思う。
予算の関係からこういうスタイルになったのか?
それとも別に意味があったのかは聞いたことがないが、
あまり、テレビでこういう映像を見たことが無かったので新鮮だった。
後に僕が撮る『とぶくすり』は、
このセットにかなり影響を受けていると言える。

収録は朝9時から、このショートコントの収録から始まる。
ここで、
僕が忘れられないアシスタント時代の思い出をひとつ。

ある日の収録の事だ。
僕はアシスタントのチーフではなかったのだが、
チーフカメラマンの田中さんにこんな事を言い渡された。
「辻、ちょっとお使い頼みたいんだけどさぁ・・・」
僕は、きっと「そば八」にそばを買いに行くのか?
「美鈴屋」にパンを買いにいくのか?どちらかだろうと思っていた。
フジテレビの河田町旧社屋には
局内B1Fに食堂とおそばやさんがあった。
みんななぜか、食堂には行かず、
「そば八」ばかりに行っていた。
安かったし、持ち帰りOKだったし(器は僕らが返しに行きます。)
美味しかったのは僕も認めます。
僕は「そば八」のおばちゃんたちとも顔見知りになるくらい通ったもんです。
おばちゃんたち元気かなぁ・・・。
ちなみに僕は
「野菜味噌うどん」が大好物でした。
僕の中で、これを越えるうどんには、まだめぐりあっていないです。
もう一度食べたいなぁ・・・。
「美鈴屋」と言うのは、
局の入り口を出た向かいにあるお店で、
今で言うなら「コンビニ」みたいなお店である。
近くにコンビニも無かったし、何せ局舎のすぐ前にあったことから
みんなよく利用していた。

「そば八」と「美鈴屋」の説明が長くなりましたが、
田中さんから頼まれたお使いはそれじゃなかった。
「ゲームボーイ買ってきてくんない??」
僕は、
田中さんが本気で言っているのがわかると、
すぐに都営新宿線に乗っていた。
当時、ゲームボーイが発売されたばかりで大ヒットしていた。
そう、
秋葉原までのお使いであった。
いたずら好きの
田中先輩ならではのエピソードである。

新宿、渋谷で売り切れているということでの
秋葉原出張でした。
これも修行かな・・・
そんな風に思った・・・・かどうかは忘れてしまいましたが・・・・。

出張の甲斐あって、秋葉原で
ゲームボーイを購入することに成功!
意気揚々とフジテレビ6stに帰った。
「売ってたかぁ・・・サンキューな」
田中さん大喜び。
そんな、
ホッと肩をなでおろした
社会人1年生アシスタント辻
セカンドカメラマン・中島さんからの一言。
「俺の分も、
買って来てくんない?」


さすがにこれは冗談ですまされたんですが、
やりかねないのが、
この2人の先輩の怖いところである。


そんな2人の先輩に鍛えられながら、
1年後には、
4カメをやらせてもらえることになった。
そこでまた
田中・中島両先輩からの罵声が飛ぶ!
「お前待ちなんだよ!」

その「お前待ち」の話は、
次回につづく