tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレス 〜その22

夢で逢えたらの話A

若いスタッフと若い演者で作られた
この伝説の番組『夢で逢えたら』が土曜23:30に時間帯が移動して、
何ヶ月かたった頃、僕はこの番組で4カメをやらせてもらっていた。
制作の発注上(シフト上)は3カメだったので、
僕はアシスタント兼4カメだった。
その頃は、ただただ、チーフカメラマンに言われた絵を
言われた通り撮っているという
ただのカメラオペレーターだった。
それですら、うまくいかず、毎回怒られているような状態だった。

そんな状態の中で、
お前待ちなんだよ!事件は起きる。

『夢で逢えたら』という番組では、毎週最後に
エンディングトークと言うのを撮っていて
最近の話、今回の収録の話などを何分か話して、
「では又来週さよならぁ〜!」というのがあって

最後の最後に、
毎回違うオブジェ(人形やミニチュアの家など)を絡めたLS(広い絵)で終わるという
構成になっていた。
僕は、この最後の絵を毎回作らせてもらっていた。
ただ、なかなか先輩たちからOKが出ない。
これじゃダメ!
やり直し!!
お前センス無いなぁ・・・。

先輩たちは容赦ない。
いつしか、出演者みんな、席について
僕を待っているという状態になっていた。
あせりました。
でも、うまくいかないモンでした。


そんな事が続いていた頃、
違う番組でご一緒させてもらった
ウッチャンナンチャン南原さんが、
何か、
この場面はどういう絵にしよう?
とみんなで悩んでいた時に
「その絵は、辻君が決めていいよ!」と笑ってくれた。
辻が初めてタレントさんに
名前で呼ばれた瞬間でした。

南原さんは、いつも、
オブジェ作りで怒られている僕の名前を覚えてしまったようだった。

でも、すごくうれしかった瞬間でした。
この人の為にもがんばろう!と強く思ったものです。

この間行われた
僕の結婚式で、乾杯のご発声を快く引き受けていただいた
南原さんが、この話
「辻待ち」の話をしてくれて、
前半戦からグッときてしまいました。
南原さんには本当に感謝しています。
ちなみに、あとで南原さんに言われて思い出したのですが、
僕と南原さんは結婚記念日が同じ日だそうで・・・あんまり関係ないですね。

そんな、
少しだけ最後の絵を作るのが早くなったある日、
僕は、こんな事を言われる
「辻、お前オールナイト・フジの4カメやれ」
前任の先輩が田舎に帰る為、ニユーテレスを辞める事になり
オールナイト・フジの4カメが空いて、
その白羽の矢が僕に当たった。


夢で逢えたらオールナイト・フジの収録(ANFは生)は、同じ土曜日。
複雑な思いだったが、
オールナイト・フジをやる為にニユーテレスに入った僕に、
迷いは無かった。

2年後、オールナイト・フジ4カメを卒業し、
3カメを先輩と交代で担当する事になり、
その隔週を今度は、
夢逢えの3カメとして戻ってくる事になった。


そのころやっていたのは、
シチュエーションコントという長い台本のコント。
後半は、アドリブになっていく・・・・という。
僕は、この長い台本を一生懸命読んだ
すると、チーフの田中さんが、
台本なんて、
一生懸命読んだって変わるからな!
動きで覚えろ!動きで!!

と怒られた。

そう、
台本を読むという潜入感を強く持つな!
という教えだった。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャンたちの
芸人としての特性を把握した
チーフの考え方だった。

僕はその時から、
バラエティの台本というものを
事細かに読まないようになってしまった。

細かくカット割がしてあるものは別だが、

アドリブの多いバラエティに、
これ台本に無いじゃん!
という言い訳は通用しない。
台本の趣旨よく理解するように
心がけています。

これは、今でも続けています。

とにかく、この夢で逢えたらからは、
今に続くバラエティ番組に対する考え方を勉強させてもらった気がしています。
ありがとうございました。


さて、次回は、
オールナイト・フジの2年間を書こうと思います。


つづく