tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレス
Q
お世話になった師匠たち〜

今回は、
伝説のバラエティバラエティ番組
志村けんだいじょうぶだぁ
チーフカメラマン藤江さんの話をします。
ボクが藤江さんの名前を知ったのは
高校時代でした。
ボクの地元・
静岡県は、
土曜の深夜に、ほぼ関東ローカルに近かった
オールナイト・フジという番組をネットしていて、
ボクは、その番組に出ている
とんねるずが大好きだった。
そんな頃、
番組の技術さんがレコードを出すという事になり
4人の方が、マイクを持ってテレビで歌を歌っていた。
そのメインの方が
藤江さんであり、曲名も
「いい絵撮ってね藤江ちゃん/ニユーテレス軍団」
つまり、ボクにとって藤江さんは
TVの向こうの人で、
タレントさんと同じ気持ちでした。
専門学校の時に1度、フジテレビに番組見学に行った時も、
技術が
ニユーテレスだったので、
そこに現れたチーフカメラマンの藤江さんに、ボクの目はクギ付けでした。
そんなボクが本気でニユーテレスに入りたいと決意して、
試験を受け、運良く合格でき、入社が決まり、アルバイトをする事になった。

ボクが
上司(先輩)である藤江さんに会ったのは、
確か、アルバイト
3日目の事で、
この時は、どんな挨拶をしたのか?よく覚えていない。
ただただ
緊張していた。


そんな藤江さんの、物凄く気合を入れていた番組が
志村けんだいじょうぶだぁで、
まさに藤江さんは、
志村ワールド映像撮影監督としてバリバリだった。
きびしかった。
恐かった。

話なんか、全然出来なかった。

そのくらいの緊張感で、毎週を過ごしていた。
藤江さんだけじゃない。
2カメの田中さん(現SJ社長)、3カメの中島さん(現SJ副社長)
4カメの青木さん(現フリー)たちもすごい緊張感だった。
この番組は、ほとんど
カメリハをやらない
ドライリハーサルという段取り確認のようなものだけしかやらない。
それでも、SWと各カメラマンは難なく、素晴らしいチームワークで
志村さんたちタレント陣に立ち向かっていく

たぶん、
スタッフというお客に対して、
全力のコントを何度も見せたくない、本番勝負!
という
志村さんの考えがあったのではないだろうか?
あと、
ニユーテレスという技術陣に対する信頼もあったと思う。
(カメリハをやるのは、音楽を流して、細かくカット割をしたときぐらいである)

正直、当時は、ボクは全然ついていけてなかった。

カメラ(カッコ)という研修みたいに勉強できるときもあったんですが、
ただただあわててしまうだけだった。
ある時、ボクが、
とあるコントの
カメラの役割をメモ書きしていたら
2カメの
田中さんが、そのメモをビリビリと破いて
覚えろ。
と言って
ニヤリと笑った
クッソー!絶対ついて行ってやる!
そんな風に思ったりしました。
しかも
シフトをつけてくれていた
田中十内技術部長と、
この番組のSWの
岩沢さんは、
ボクを、アシスタントだったり、カメラ(カッコ)で
ずっとこの番組につけてくれていた。
(大変で)つらいけど、
なんとかこのチームに溶け込みたい!
そんなつもりで歯を食いしばっていた。

そんなボクも、
ニユーテレスに入って1年ちょっとが過ぎた頃、
「だいじょうぶだぁ」で、カメラをやらせてもらうチャンスが訪れた。

「だいじょうぶだぁ」は、
5カメSWの番組だったのだが
この番組の
5番目のカメラマンは、なかなか定着しなかった。
先輩達が、次々に就けられては外されていた。

多分、まだ早いと判断されたのではないだろうか?
そんな、先輩達の後に言い渡された5カメという大役。
緊張以外の何者でもなかった。
先輩がダメなのにオレに出来るのか?という不安を
考えてるヒマもなく月曜日(収録日)はやってきた。

そのちょっと前に、
「所さんのただものではない!」という番組も、
サブでSWの岩沢さんの隣で見学中に
「来週からお前やれ!!」と突然カメラマンに任命された。

外された先輩に悪いなぁという気もあったが、
カメラマンに挑戦できるという気持ちの方が正直強く
岩沢さんの期待になんとか答えたかった。
「だいじょうぶだぁ」は、サブで言われたのではなかったが、
もちろん岩沢さんにやれと言われていた。

ただ、
藤江さんには物凄く怒られた
絵に対するこだわりとか、情熱とか、
多分、藤江さんの求めるものと違っていたのだろう。

カメラをやっていて、インカムの向こうから

スイッチのON OFFを、何度も繰り返す音がカチカチカチカチする。

藤江さんがボクの方を睨んでいる。

何かが違うのだ。
これが、藤江さんがボクによく送ったサインだ。
細かい1Sのサイズ合わせとか、
人物の前空け、後ろ空けとか・・・・。

すごく細かく教えられた。

音楽番組
での小節の数え方も、
藤江さんは、
厳しかったけど親身に教えてくれた。
よく宿題を出してもらったりしたものです。

恥ずかしい話ですが、
ボクは、
本当にスタジオの隅でよく
泣いていました。
藤江さんが憎いというのではなく、
期待を返せない自分がくやしくて・・・。
どうしてダメなんだ!

なんとかしたい!藤江さんから信頼できる後輩にならなきゃ!

いつもそう思っていました。
でも、それが実現できたのかどうか?
ニユーテレスを辞めてしまった今となっては、わかりません。

ただ、
あの時の厳しさがあったからこそ今のボクがある。
それだけは胸を張って言えます。

ボクは
このカメラマンの下で
いろんな経験が出来て
幸せだと思っています。

本当です。
感謝。その言葉につきます。

現在もカメラマンとして第一線で活躍なさっている藤江さんを見ていると
オレもがんばろうという気にさせられる。
ニユーテレス若手カメラマンのみんな!
この偉大なカメラマンから、もっといろんなことを盗め!
(よけいなお世話かもしれませんが・・・)


そして
藤江さん。いつまでも
僕らが目指すカメラマンでいてください。

つづく