tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレスM
初めてのカメラマン〜
紳助H20
の話

「カメラをやってみろ」
と言われる瞬間は突然やってきた。

話は、
氷点のスタジオ収録より2ヶ月前の
1988年10月の事である。
その日の収録は、
ボクがニユーテレスに入社直後の4月末にスタートした
島田紳助さんのトーク番組
紳助H2
ディレクターは

ビビンバ!
でおなじみの荻野さんと、及川俊明さん。
ちなみに
ADとして
営業から制作部に異動になったばかりの荒井昭博さん
(現フジテレビ編成部副部長)
が担当していた。
そんな荒井さんに、89年のお正月、ボクは年賀状をいただいた。
ボクらアシスタントにまで気を使う荒井さんに
なんてしっかりした方なんだろう。
とビックリさせられたものだった。

その番組はSWに
島本さん。
チーフカメラマンに
中島さん。
(実はこの番組は
中島さんの初チーフ番組である。)
あとのカメラマンは、2カメに
花島さん。
3カメに
河西さん。4カメに小川さんという若手番組だった。
ボクは番組スタートからチーフCA(4月)としてかかわってきた。
まぁ、レギュラーというわけではなかったが、よくやっていた。
この番組は
紳助さんの行きつけのBARにやってくる
女性ゲストを、
BARで口説いて、部屋に連れていくという設定のトーク番組。

ということで、オープニングを入れたら3つのシーンで構成されている。
セットは、オープニングはホリ前でやって
あと、BARセットと部屋セット。
オープニングは1カメ。もちろん中島さんが撮る。
BARセットはスタンダードカメラ4台。
部屋セットがスタンダード3台、ハンディ1台の4カメ。

部屋セットでは4カメの小川さんが、
いろいろとハンディっぽい絵(あおりとか俯瞰とか・・・)を撮っていた。

そんなある日の収録、
ボクは収録の合間に
部屋セットで使用するハンディで練習していた。
しかも
ベタと呼ばれるローアングル用の脚
BARセットで雑談をしていた
ゲストのバックショットを撮っていた。

たまたまインカムをしていたボクの耳に、ディレクター荻野さんの声が・・・・。
この絵いいじゃん。使おうよ!
SWの島本さんとチーフの中島さんの指令で
ボクは本番中もその絵を撮る事になった。

うれしかった。
ただただ上手くなりたかったから練習していただけなのに・・・・。

前には、ドライRHとかに練習していると、
「照明さんが勘違いするからよけいな絵は撮るな!」
と叱られたりもしたが、
この時はタイミングがよかったのかもしれない・・。
それ以後ボクは石原くんという同期のコと交代で
この5カメをやらしてもらえるようになった。

ただし!

12月になったら、ボクは氷点のスタジオに付くことになり
残念ながらこのカメラの仕事を1度忘れ、
ドラマのアシスタントの世界に戻った。

でもボクは練習をした。
氷点は氷点で波田野さんとともに戦った。
旭川で、氷点のロケが終わったあとホテルに戻って、
みんなが飲みに行っている時も、部屋でずっと練習した。
(夜ヒットをやっているTVを人間に見立てて、
ZOOM IN・ZOOM OUTの練習もした)
このロケが終わったら絶対に取り返してやる!
そんな野望とともに日々を過ごしていた。

急がば回れ!だ。

やがて、氷点の網走ロケが終わり、
ようやくドラマのアシスタントを卒業させてもらった。
(実はあと1本だけ、高田カメラマンのドラマのアシスタントをやった)

よーし!がんばってカメラマンになるぞ!
という思いで一杯の2月半ば。
今度4月から始まる新番組のレギュラーを任命された。
しかもアシスタントではなく
カメラで・・・。

SWは
高田さん、
チーフカメラマンは現SJ社長の
田中さん。
番組名は
「それゆけ!マーシー!」という
あの
田代まさしさんの番組。
SWの高田さんが言ったあの一言がボクの胸に突き刺さる!!
「マジで・・・この番組はお前にかかっている。」

という大きな期待をしょって新番組は始まった。


次回は
新番組の話を書く前に、アシスタント時代の貴重な体験を書きます。

つづく