tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレス L
〜ドラマアシスタント・最終回〜
テレビ朝日開局30周年記念ドラマ
「氷点」
極寒の地旭川ロケの話(後編)


今回は、前回の終わりに予告した、
カメラマン
波田野さんに襲い掛かった事件について書きます。
それは、
ドラマの中の回想シーンで、出演者のカップルが
「スキー場で遊ぶ」というシーンを撮影する為に
とあるスキー場にロケに行った時の話。
リフトに乗って、山のてっぺん近くでロケは行われた。
機材などの移動は雪上車などを借りたんだが、
カメラやVTRなどはリフトで運んだ。

撮影は順調に進んでいた。
ボクは波田野さんが
雪をたくさんかぶった樹木の実景を撮りながら
「ん〜ん。芸術だぁ!」と言って
満足げな顔をしていたのをよく覚えている。
そしてその場所でのロケは終了。
リフトで下に降りて、次のロケ地に移動する事になった。
ボクがカメラを持ってリフトに乗ることになり、
波田野さんは、
BVH−500という1インチの大きなVTRをかついで降りる事になった

先に波田野さんが降り、何人か空けてボクが乗ることになっていた。
その時である!

急にリフトが止まったのである。

どうしたんだ!ボクはあせった

なんと波田野さんは、遠心力の力か?他の何らかの力かわからないが
リフトのイスから振り落とされ・・・・・・・・というか
振り落とされかけていて、

なんと片腕でリフトぶら下がっていた。


あわてるボクに波田野さんは、
「落ち着け!大丈夫だから!」と、
まるで逆の立場の発言をしていた。
あの状況でよく落ち着いていられるなぁと驚いたものだった。
結局、リフトを逆送して波田野さんはケガもなく救出された。
機材も幸い無事だった。
とにかくビックリしたのと波田野さんの冷静さには驚かされた。
事件といえば、もうひとつ。

今度はボクの話。
20日間にわたる北海道ロケの中で、
苫小牧でロケをして、旭川に帰る時の話。
ボクらの機材来る車は、
北海道の技術会社
「コールツ・プロダクション」さんにお願いしていた。
雪道ということで、なれた人のほうがいいという理由だろう。
そんな苫小牧からの帰り道。
助手席に乗っているボクは、少しうたた寝をしてしまった。
「うわッ!」と叫んだドライバーさんの言葉で飛び起きた。
それとと同時に手元に置いていたカメラを胸元に引き寄せようとしたその瞬間!

軽い衝撃ではあったが、ドンッ!

前の車に滑りながら機材車はぶつかった。

結果的に、ボクはほんの少し逃げ遅れ、レンズのUVフィルターを割ってしまった。

幸いレンズには影響なかったようだったが、最初見たとき
「しまった、やっちゃった!」と青くなった。
UVフィルターは、コールツ・プロさんに新しいやつを持ってきてもらって事足りたが、
北海道の雪道は熟練者でも厳しいもんだという教訓になった。

まぁ、そんなこんなで20日間があっという間に過ぎた。
旭川には思い出がたくさん出来た。
仕事以外の一番の思い出は、
ラーメン
でした。

ボクはかなりのラーメン好きだけど、旭川のラーメンが一番好きである。
ほぼ毎日に近いほど食べに行った。
店もたくさんあって、食べ比べてみたんですが、
店によって味は違うけど、トータル的にどの店もうまい!
旭川ラーメンお勧めです!!

東京に帰る日、朝、1シーンだけロケが残っていた。
前の晩は、みんなドンちゃん騒ぎだったようだ。
ボクはさっさと逃げ出して、最後のラーメンを食べに行ったので良く知らなかったが、
まぁ、それはそれはすごかったみたいだ。
朝の1シーンは、
いしだあゆみさんが橋の上から、川に手紙を破り捨てる、というシーン。
波田野さんとボクは川原からあおりの絵を狙っていた。

その時波田野さんが、
「辻、軍手かしてくれ。」
テンション低めの声
で言った。
ボクは別に普通の会話なので、なんのためらいもなく、軍手を渡した。
「お前、ここで番してろよ。」と言い残して
波田野さんは、雪の川原に消えていった。
待つ事数分・・・・。

波田野さんはスッキリした顔で帰ってきた。

ボクは波田野さんの軍手が片方無くなっているのに気がついた。
「ははぁん、さては・・・・・・・。」

ちなみにこれはボクの想像ですので、波田野さん間違っていたらすみません。


東京に帰り、2週間後にまた、
網走に流氷を見つめる主人公のシーンを撮影に行った。
この年は、
暖冬でなんと網走にも流氷が来なかった。
結局、流氷の絵はありものを使い、
UPだけ撮影した。ボクはスタッフ削減の為、音声兼任で行った。
これが本当にクランクアップ。
何とも言えぬ感動があった。達成感も充分。
そしてこれが、波田野カメラマンの引退作(確かそうだと思いますが・・・)となり、
ボクと波田野さんの最後の作品となった。
そしてボクは
いよいよカメラマンといういばらの道を進み始める事になる。

非常に残念な事は、
ボクは波田野さんと、
カメラマンの師匠と弟子の関係
仕事をした事が無い。


間に合わなかった。


ただ、ボクの中には間違いなく
波田野憲雄という偉大なる師匠の
教えが生き付いている。
将来的には、ボクもドラマを撮りたい。
今の力でどれだけ出来るか試してみたいのも事実である。
その時また、この師匠のことを思い出すと思う。
ニユーテレス波田野カメラマンは
ボクの目指すべきカメラマンの一人である。


つづく