tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレスJ
〜ドラマアシスタントBの巻〜
テレビ朝日開局30周年記念ドラマ
「氷点」

テレビ朝日の開局30周年記念ドラマ『氷点』は、
1989年4月の6日・7日二夜連続で放送された、合計5時間のドラマである。
監督は元フジテレビ大野木直之監督。
実はこの大野木監督は、
僕の故郷・西伊豆戸田村出身(正確に言うと疎開先だそうです)
地元の大先輩だった。
一度だけ就職の相談をしにフジテレビに訪ねた事があり(その時が初フジテレビ)
それ以来の再会で、
なんか「これも運命だなぁ」なんて思った。
カメラマンはもちろん波田野さん。
物語は、
20年くらいの年月を描いているので、
春夏秋冬全てのシーンがある。
その為ロケも、夏期間・冬期間(春・秋はどちらかにくっ付けて)の両方があった。
ボクがこの「氷点」に参加したのは、冬のロケとスタジオ。
夏のロケは既に収録が終わっており、
そのロケのCAがひとつ先輩の為谷さんが担当していた。
「為(タメ)から、いろいろ聞いておけよ・・・。」と波田野さんに言われ、
僕はこの壮大なドラマの
重要なロケのアシスタントを任命された。

「やった!」という気持ちは、
「氷点がやれる!」というものではなく
「波田野さんが俺を(アシスタントとして)認めてくれた」
という気持ちだった。
うれしかった。まさにガッツポーズだ!
それと同時に、物凄い責任感と与えられた仕事の重要性に
体が震えるような緊張感がボクを襲った。


その年の12月。スタジオ収録が行われ、
開けて1月に、20日間にわたる極寒の北海道・旭川のロケが行われた。

1988年12月5日、渋谷ビデオスタジオ。
「氷点」のスタジオ収録はクランクイン。
SWはニユーテレス・梅谷代表(現社長)、チーフカメラマンは波田野さん。
カメラマンは、セカンドにフリーの柴崎さん(元ニユーテレス)。
(柴崎さんはスタジオ収録全て参加)
他には、
藤本さん、花島さん、澤田さん、そして為谷さん(もちろんカメラマンとして)たちが
交代で参加した。
アシスタントはボクがチーフ。
あと同期のアシスタント守護くん、VASCからの助っ人大野くんの3人。
当時は、5カメスタジオでアシスタント3人は当たり前だった
今はどうだろうかねぇ・・・。
照明はもちろん、木川さん率いるサンライズアート
とにかく、
無我夢中であんまり当時のことは詳しく覚えていないが
波田野さんや他のカメラマンさんたちに怒られながら必死でやった。
朝、6:30頃スタジオに入り、終わるのは24時過ぎ。
毎日こんなスケジュールだった。

ボクが、現在までの15年のカメラマン生活の中で、
たった一度だけ
寝坊で遅刻したのは、この「氷点」のスタジオ収録の期間だった。
VEさんや、同期のアシスタントは
「仕方ないだろう」と怒らなかった。
それくらい過酷な日々だった。

(ちなみに同期の守護くんはボクが遅刻した前の日と次の日に遅刻している。)

そんな日々の中、
ボクは一生忘れられない言葉を、ある人からいただく。
スタジオ収録が毎日深夜になると、帰りは宅送といってタクシー代が出る。
当時ボクは
河田町フジテレビ(旧社屋)から歩いて5分くらいのところにある
若松町というところに住んでいた。(家賃4万、風呂なし)

もちろんニユーテレスにも歩いて5分。
アルバイトをしていた頃
「お前、宅送出ないから帰っていいや」と、
仕事の途中で帰らなければならない状況がとてもくやしかったので、
ボクは、会社(ニユーテレス)とフジテレビから
歩いて帰ることの出きる家を探して住んでいた。

そう、
宅送が出なくても最後まで仕事がやれる!
宅送と言っても、
予算の都合上、相乗りをしなければならなかった。
ボクが渋谷スタジオから、相乗りで帰った相手は、なんと!
梅谷代表だった。
当時、梅谷代表も会社から歩いて通えるところに住んでいらっしゃった。
ゆえに!
ボクは毎日、宅送の順番は1番だった。
代表と一緒ということなので、当たり前と言えば当たり前か?
なんと、
チーフカメラマンの波田野さんより早くアシスタントのボクが帰ることとなる。
だから、撤収も物凄く急いでやっていた。
今思えば、
梅谷代表だけでも一人宅送でいいのに・・・・と思うんですが・・・。


そんなある日の帰り。
梅谷代表と、毎日いろんな話をしながら帰る途中
梅谷代表がボクに言った一言を、
ボクは一生忘れない。

「辻は、カメラマン向いている」
今でもボクの中では、
あの「ものまね王座決定戦」
13台のカメラ
(今は何台かわからないんですが、ボクがやっていた頃は確か13台)を
SWしていたあの梅谷さんは、
間違いなく
日本一のテクニックをもったSWさんであり
そんな、この世界の大大先輩に、
「カメラマンに向いている」と言われたことが、
何よりうれしかった。

ボクがニユーテレスを辞めた日
梅谷代表は、留守で会社にいらっしゃらなかった。
だから、ちゃんとした挨拶をする事が出来なかった。
失礼な話である。

ただ、正直、
こんな事まで言ってくれた梅谷さんに会わせる顔が無く、
後ろめたさがあり、
会えないことで逃げてしまったように思っています。

梅谷社長、すみませんでした。
ただ、今でもボクは、
この時の
梅谷さんの言葉を胸に、
頑張っていこうと思っています。

もう、そんなにしょっちゅう現場に出てはいらっしゃらないと思いますが、
また、ご一緒に仕事が出来たらなぁなんて思います。

その時まで、
がんばっていいカメラマンになります

さて、「氷点」の話に戻ります。
このスタジオ収録の中で
ボクがもっとも印象に残っているシーン
の話をします。
それは、物語後半、いしだあゆみさんと、津川雅彦さんの夫婦が
娘のことで言い争うシーンがあるんですが、
そこの二人の1s(UP)をハンディでかついで撮った
波田野さんがいしださんを、柴崎さんが津川さんを・・。
お二人の演技も物凄く力が入っていて、大迫力のシーンになった。
ビデオを持っている方はぜひご確認を・・・。

そんなこんなで、
スタジオが終了し、年末を迎える。
年が明けた、1989年1月9日
ボクは極寒の北海道・旭川に旅立つ事になる。

「氷点」冬のロケの為に・・・・・。



つづく