tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレスI
初の1カメドラマに挑戦!
「殺意の瞬間」
〜ドラマアシスタントAの巻〜


いよいよその瞬間はやってきた。
初の1カメドラマのアシスタントの仕事。
カメラマンは
この仕事で初めて一緒に仕事をする
制作部部長
波田野カメラマン。
どんな方かも全然わからず、先輩達は
気合入れていけ!
というアドバイスをたくさんの人がくれる。
そんな事言われなくたって、ただでさえ緊張している。
カメラマンの波田野さん以外のニユーテレスのスタッフは
VEに、今やニユーテレスホームページでおなじみ瀧本さん、
音声・ミキサー田中文雄さん(通称:ぶんさん
ブームマン海老沢さんと、
当時いた僕の同期(有経験者だったので実は先輩)小俣くんの3人。
合計6人で、
8日間にわたる1時間ドラマの収録に望んだ。
ここでもう一人、
忘れてはいけない、
忘れると怒られる方にボクは出会っている。

この作品の
照明を担当していたのが
当時
サンライズアートに所属していた木川さん。
後にサンライズアートを退社、
ニユーテレスに照明軍団を創設する
この
意大なLighting Directer
ボクはこの作品で出会っている。
木川さんの照明のテクニックは
この時期、全然わからなかったんだが、
同じ職場で働く人として、
いろんな面で、いろいろ助けていただいた。

その時の恩は、
まだ返せていないなぁ・・・・・。

お酒を飲みすぎた時には、かなり助けてはいるんだけど・・・・。


いよいよ
クランクイン1988年9月14日
確か、
成田空港で1シーンのみ
(どんなシーンかは忘れてしまった)
その日はそれだけだった。
なんか
ウォーミングアップのような感じだった。
本格的クランクインは、
一日おいて
1988年9月16日
山梨県丹沢湖という人口の湖のほとりの別荘というのが、
ドラマの設定だったんだが、
実際に撮影に使用された別荘は
山中湖で、丹沢湖畔ではなかった。
丹沢湖では、
湖のシーン車の走りのシーンなどを撮影した。
車の撮影では張り出しという機材を使用した。
張り出し(正式名称は、何ていうんだろう??)というのは
車のドアに取り付けるカメラの脚(三脚みたいなもの)で、
窓外からナメの2Sとかを撮る時に使う。
現在では、
高橋レーシングさんなどの
車撮影の専門家さんたちが持っている機材
実に手早くやってくれるが、
当時(15年前)は、僕らが苦労して付けていた。
と言うか、
波田野さんが付けていた
ここでボクは大きなミスをしていて、
この機材の使い方を
全然理解していなかった。

案の定、まごまごしていると波田野さんに

「ほらっ!貸してみろぉ!」

と怒鳴られ、全部波田野さんにやらせてしまった。

「和栗!!(当時の照明さんの一人)手伝ってくれ!!」
と、
照明さんの方が気が利くみたいな仕打ち
でも、ボクは何も出来ない自分がくやしかった。
大大大反省である。

波田野さんは、怒ると
「あなたはねぇ!・・・・」とか
「君はねぇ!・・・」
と言うのが口癖で、よく先輩達がまねをしていた。
ボクは
「君はねぇ!」とよく言われた。
物凄く怖かった。

でも、
ボク自身が情けないから怒られるのであって
波田野さんを恨む気持ちは全くなかった。

今日こそは!と毎日思いつつ、
失敗ばかりの日々が過ぎていった。

照明の木川さんには、落ち込んでいる時によく励まされた。


山中湖
の別荘では、加賀さんにまで怒られた。
カメラが外から別荘の中を覗いているような画
波田野さんが撮っていたときの事。
「あなた、なにやってんの!
波田野さんも外に出ているんだから、あなたも外に行きなさい!!」

加賀さんに怒られた。

たった1カットだったので、ボクは波田野さんに、
「お前は中にいていい。」と言われていたのである。

「ねぇ、波田野さん。」

と言って加賀さんは笑った。

そんな僕を見て、波田野さんは笑っていた。


とにかくこのドラマでボクは、
あまりにもあまりにも必死すぎて、
カメラの勉強をしている余裕が全くなかった。

ただただ、
波田野さんに信用されるようになりたい。

そう思っていた。

クランクアップ。
長いようであっという間の一週間が過ぎた。

いい思い出というより、
「だめだぁ・・・・。」
という気持ちのドラマロケだった。


この余裕のなかったドラマロケで、
ボクは忘れられないカットが1カットある。
それは、
ラストカット
湖に浮かぶ白いボート。
誰も乗っていないこの白いボートからZOOM OUTして
湖全体のひき画(大LS)までもってくる。

撮影していた時にはどうだったか覚えていないのだが
ものすごくゆっくりとしたZOOM OUTで、
エンドロールバックで素晴らしい画だと思った。

波田野さんが
偉大なカメラマンであるというのを
実感したのは
この
1カットである。
手動ZOOMなのか?電動ZOOMなのか?
よく見ておけばよかったなぁ・・・。と
今でも悔やんでしまいます。


この作品
「殺意の瞬間」は、
もちろんビデオに撮ってあったんだけど
「これいい作品だよぉ・・」なんて
後輩に貸したら、帰ってくる前にそいつが辞めてしまい
今、ボクの手元にはないんです。

このホームページを見ているニユーテレスの方で、
この作品をお持ちの方は、
ボクにダビングさせていただけないでしょうか?
ぜひお願いします。


「殺意の瞬間」以後、
波田野さんのドラマは後3本ご一緒させてもらった。
ニユーテレス制作部の第2弾
坂上忍さん主演「はばたきたい」では、
東北・恐山まで行った。
VEさんは、高瀬さん。音声さんは間野目さんだった。
坂上さんは、同い年だったので仲良くしてもらった。
でも、もう覚えていないだろうなぁ・・・・・。

次にやった作品は、
テレパックという制作会社の
「猫マタギの女たち」という作品。
出演は
佳那晃子さん、美保純さん、そして柳沢慎吾さん。
柳沢さんは本番意外もしゃべりっぱなしでビックリだった。
VE
瀧本さん、音声サウンドユニバース奥山さんとS.Uチーム
照明は、
「はばたきたい」「猫マタギの女たち」も、
木川さん率いるサンライズアートだった。

そしていよいよ最後の作品を迎える。

3本目の
「猫マタギの女たち」クランクアップした日。
会社に帰るハイエースの中で、波田野さんが
「おい、瀧本!
「氷点」、為(タメ)
〈ひとつ先輩の為谷さん〉じゃなくて、
辻でいいから・・・・。」

とVEの瀧本さんに言っていた。

それが、ボクにとって
波田野さんとの最大の思い出の作品

三浦綾子
さん原作「氷点」
スタートの瞬間だった。


つづく