tsuji-cam's HISTORY

高校時代C

3年生になってラストの作品に挑戦するわけだが、
最後の作品は手抜き作品になってしまった。
はっきりいっていい企画が浮かばず
これまでの作品を寄せ集めたような、
「部活とは?」みたいな作品を作ってしまい、
なんとも、内容の薄い作品になってしまった。
かろうじて、静岡県大会は2位を取ったが、
全国大会なんて夢のまた夢。
すっかり全国予選で落ちてしまった
一応全国大会の見学にはNHKまだ行ったが、
ただ東京に行っただけのように思う。
そんな、全国大会の帰りの新幹線で、
僕はとある
アナウンサー・パートの同級生からオファーを受ける
「秋の千代田の大会に出場したいので、協力してほしい。」
という話だった。
普通なら、3年生は夏のNHKで引退するのだが、
アナウンサーをマジで目指している彼女は、
ラスト・チャレンジを・・・・。
ということらしかった。
なぜ僕だったのか?
アナウンスの番組はDJ番組(いわゆるラジオ番組)なのに
ビデオ班の僕になぜ?
と思ったのだが、彼女曰く、
その年の春、お昼の校内放送の班決めの時に僕が、
「お前と一緒に番組をやっていないから、いっしょにやろう」
と、僕が指名したののお返しだったみたいだ。
僕は「よーし!一丁やったるか!!」
受験勉強そっちのけでラジオ番組の台本を書き始めた。
そして、みんなが受験勉強を本格的に始める夏休み。
僕らは後輩達が帰った放送室で、ラジオ番組を制作し始めた。
台本・選曲・ミキサーを僕が担当した。
後輩の何人かも手伝ってくれた。
そして、番組は完成した。
結果は、なんと
全国大会優勝!!
つまりその年の日本一になってしまったのである。
すげーっ!
でも、個人作品なので僕の名前はない。
でも、彼女がものすごく喜んでいる姿がとてもうれしかった
彼女は、次の年の大会宣伝ポスターにもなった。
そして現在は愛知県東海ラジオのアナウンサーをしている。
プロになったのである。
もう結婚してしまったんだけど、
まだまだ現役のアナウンサーとしてがんばっている。
直接、彼女の声を聞くことは出来ないのだが、
時々くれる電話が、結構励みになっている。
がんばらなきゃ!と・・・。

さて、高校3年生に戻ります。

そんな僕にも受験がやってきました。
教師志望はとっくに変わってしまい、
もうすっかりテレビカメラマンになろうと決めてた
ご存知のとおり、僕の高校は日本大学三島高等学校という
日大の付属高校なので、もちろん最初は
日大の芸術学部放送学科を目指した。
目指した割には、それなりの勉強もせず、遊んでばかりいた。
模試の結果も、言い訳がない。
合格の%が0%の時はさすがにびっくりした。
そこで僕は、
大好きだった佐藤先輩(高校時代A参照)と同じ、
大阪芸術大学放送学科を受験した。
(日芸は受験しなかった)
しかし、結果は不合格
他の大学(学部)には行く気が全くなかったので、
専門学校に行くことにした。
カメラマンになるという気持ちはとても強かった為・・・・。

専門学校も適当に決めてしまった。
東放学園には行きたくなかった。
(別に意味はないですが、ただなんとなく)
専門学校の広告雑誌を見て、
「今年より新校舎完成!!」
と言う記事を見て、そこにしてしまった。
東京写真専門学校(現・東京ビジュアル・アーツ)
に入ることは、すぐに決まった。
「専門学校かぁ・・・。でも必ず!」そんな気持ちで
3年間住んだ三島と言う町に別れを告げ、
僕は高校を卒業した。

そして、いよいよ
東京
という大大大都会に上京することになる。
カメラマンになる為に・・・・・。


つづく