tsuji-cam’s HISTORY
高校時代B

一年生の秋からソフトボール部の番組を
やるようになったんだけど、
スタッフはなんと
ふたりきりだった。
水口宏海(みなくちひろみ)先輩
といって、僕のひとつ上の先輩だった。
(現在は母校・日大三島高校の教師をされています)
僕と水口先輩は、
来る日も来る日も女子ばかりのソフトボール部を追いかけた。
日曜日に試合が
袋井市の方であった時なんか、泊りがけで取材した。
彼女達の普段の姿などを撮影するため、消灯前の部屋とかも撮った。
男はソフト部顧問の渡辺先生と僕らふたりの計3人。
ちょっと、
ドキドキしたもんです。
結局、水口先輩とは約10ヶ月ぐらい一緒に取材をして
次の年の
NHK
躍べ!白球!!
というタイトルの
女の子によるスポ根番組を制作。
水口先輩が
演出
僕がカメラマン。長沢先輩がナレーションを担当していた。
カメラマンの他に、僕は番組の
テーマ曲を選曲させてもらった。
いろいろ悩んだんだけど、当時僕が持っていた
新日本プロレスのテーマ曲集の中から
木村健吾のテーマビューティフル・フライト
という曲を選んだ。
これがなかなかはまっていて
今ではもう僕にはソフトボール部のテーマ曲にさえ聞こえる。
そしてこの番組は、NHK高校放送コンテスト(水口先輩3年、僕2年)で
静岡県大会優勝をしてしまった。
うれしかったねぇ。
静岡県大会とはいえ、優勝だから・・・・・。
そして、
全国大会!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
残念ながら、全国ベスト20位には入らなかった。
でも、水口先輩は「県大会優勝で満足だ。」と言っていた。
3年生はここで
引退
いよいよ、僕らがリーダーとなって
放送部を引っ張っていくポジションになった。
まず、最初の大会は
千代田工科芸術専門学校が主催する
全国高校放送コンテスト
(NHKに次ぐ第二の全国規模の大会)
この大会は、9月いっぱいで締め切りで11月23日が全国大会
(県大会ではなく、僕らの地区では東海大会があった)ということなので、
毎年NHKに出した作品を2年生がリメイクして参加するという事
になっていて、僕もソフトボール部の番組をリメイクした。

(前年水口&辻コンビは水泳部の作品で、全国佳作【全国5位】入賞をしている)
今回は
演出担当し、
カメラももちろん、選曲、ミキサー、すべてやらせてもらった。
唯一、ナレーションは同級生の女の子にやってもらった。
作品的には、水口先輩の
ナレーション中心の構成のつくりから
インタビュー中心の構成に変え、
試合も、
負けた試合(水口演出)ではなく、
勝ったのに結果が良くないと怒鳴られた試合に変えてみた

タイトルも
躍べ!白球!!から
とべ!白球!!にした。
そしてその結果、
なんと全国大会準優勝をとってしまった
(優勝作品との点数の差は
0・5点!)
おしかった。悔しかった。
でも、さすがに優勝作品はおもしろく、負けたという感じだった。
この時の審査員の寸評は、
「撮影技術がすぐれています」
「カメラワークがずば抜けていいです。」
「あの素晴らしいカメラワークで
来年もぜひ参加してほしい」

みたいな事を書かれてしまった。
多分この頃から、
自分に一番向いている仕事ってこれかもなぁ・・・。
と思ってきた。

3年生のころには、
もう真剣にカメラマンになろうと思っていた。
もう完全に
教師志望は何処かへいってしまっていた・・・・・・・。


つづく