tsuji-cam's HISTORY
高校時代A

高校の放送部生活の中で、一番楽しかったのは、
一年の秋から二年の終わりまでの期間
つまり
ひとつ上の先輩達と過ごした期間である
とにかく、僕のひとつ上の先輩達は個性派揃いで、
13人いたんだけど13人全員面白い何か持っている人達だった。
その中でも僕が感動し、ものすごく影響を受けた先輩が
人いる。
まず、なんと言ってもこの人、
佐藤廣信先輩。
当時、放送部には3つのパートがあり、みんなどれかに所属している。
プロデューサー・パート、ミキサー・パート、アナウンサー・パートの3つ。
プロデューサー・パートは、
演出を担当するパートで、
プロデューサーと言うより
ディレクターといった感じ。
ミキサー・パートは、機械いじり、
技術担当のパート。
僕はミキサーパートだった。
アナウンサー・パートは、読んで字のごとく
アナウンスを担当。
佐藤先輩はプロデュース・パートに所属している先輩で、
実は、一緒に番組を作ったことが一度もない
でも不思議なことで、
なぜかこの先輩と一番仲がよく
学校の帰りには
毎日のようにどこか寄り道して
(当時三島駅前に、ロッテリアがあり、店員と仲良くなるくらい通ったものである。)
部活の話をしていた。
これも不思議な話だが、佐藤先輩とは、
趣味が全然違う
佐藤先輩は、中学の頃サッカー部に所属していた
サッカー好き
でも、僕はサッカーには全く興味がない。
僕は、
プロレスが大好き
佐藤先輩は「あんなもん、いんちきだよ!」と、これまた全く興味がない。
ただひとつ。
僕の同級生の女の子で、誰が可愛い??
というよくある合宿の定番で、
答えた子が同じだった。(らしい・・・)
とにかく、佐藤先輩の
感性というか、発想というのがとても好きだった。
簡単に言うと、面白い!!

めちゃイケの
片岡飛鳥監督と仕事をするようになり、
この人、面白い!センス抜群だ!と思った時に、
佐藤先輩もディレクターになっていたら面白いのになぁ・・・。と思ったものである。
僕にとって、
この先輩との出会いがなかったら今の辻はない。
これは、断言できる。それくらいの人である。
そして、その佐藤先輩ほどではないが、ものすごく影響を受けている人が、
ミキサー・パートの
菅沼康志先輩だ。
菅沼先輩は簡単に言うと、
放送マニア
番組の
テーマソングとか、BGMとか、
CM前とかに流れる
クッション(短い曲)を選んだり、
編集して作ったりすることを彼から教わった。
インストミュージックは彼の影響で今でも聞いている。
なにせ、数台のカセットデッキ、オープンリール(6mm)のデッキを
駆使しての
生放送(お昼の校内放送)
もう、プロの域だと感動した。
真似したいと何度も思った。素晴らしい先輩である。
そして、僕が感動した3人目の先輩は
長沢憲一先輩。
長沢先輩はアナウンス・パートの先輩で、
フリートークの達人だった。
アナウンス的にうまいのかどうかはわからないが
(実際大会ではいい成績を残してはいない)
とにかく、面白い
この人もプロ並みではないかと、今でも思う。
神奈川県出身なので横浜ベイスターズ(当時は横浜大洋ホエールズ)
のファンで実況とかも抜群だった。
多分、野球の実況が彼に多大な影響をもたらしたのではないかと察する。
現在は
日本大学明誠高等学校の教師をなさっているらしい。
不思議なことに、
この高校生にしてプロ顔負けの3人は、
3人とも
放送業界にいない
(実は佐藤先輩は今何をやっているのか、
教えてくれないのでわからない、が正解で、
大阪芸術大学放送学科(僕は先輩を慕って受けが落ちてしまった)
に行ったくらいだからプロの道に進んでいてもおかしくないのだが、
本人曰く
違うと言っていて不明である。)
今の僕が、がんばれるのもこの先輩たちを含む

13人の面白い先輩たちのおかげ
である。
ありがとうございます。
また、みなさんにお会いしたいです。



つづく