tsuji-cam's HISTORY
高校時代編@
放送部に入る為に日大三島高に入ったわけではない。
あの頃はまだ教師志望で、大学に入る為に日大三島に入った。
元々は、公立の三島南高校を目指していた。
そして静岡大学の教育学部を出て、
静岡県の小学校教師になりたかった。
当時の意識の中に、
「静岡県の教師は静大を出ないと・・・。」
みたいなのがあったので公立を目指していた。
でも成績はギリギリのところだったらしく、日大三島を薦められた。
ショックだった。
でも、日大三島からでも静大は受けられるし、
日大の教育学部だってあるんじゃないかい?
と言われ、日大三島を受けることになった。
(現在の日大三島高校はかなりレベルがアップした進学校になっているらしい。)
でもそれが、
運命の始まりだった・・・・・。
放送部に入る為に日大三島高に入ったわけではないのだが、
放送部には大変興味があった。
部勧誘が行われ、
僕は放送部に入部届を出した。
昭和58年度の新入部員の中で、新入部員第一号だったらしい。
日大三島高校放送部の辻が誕生した。
高校の部活動では、
たくさんの先輩たちに出会った。
この先輩達に出会えなければ、今の辻はない。
というくらいの個性派集団であった。
なにせ、
本当に放送活動好きな人たちだった。
お昼の校内放送なんて、ラジオのDJ番組だった。
ものすごく楽しそうだった。
いっぱい真似をした。
番組のテーマ曲とか、BGMとかを探したり選んだりするという楽しみも
この時に自然と教わっていた。
高中正義、THE SQUARE(現T-SQUARE)、CASIOPEA、松岡直也などという、
フュージョンバンドを教えてもらったのもこのころで、
僕は、こういったインストミュージックにはまってしまった。
今でも、大好きである。
ただ、まだビデオ作品を作るという活動は、
始まったばかりで、先輩たちも探り探りだった。
僕はもちろんビデオをやりたかったので、希望をした。
他の同級生はみんなラジオの方を希望していが、
僕は結局両方やった。
当時、高校生の放送部には、いくつかの大会があって、
NHKが主催する、
NHK杯全国高校放送コンテスト(放送部の夏の甲子園)と、
千代田工科芸術専門学校主催の全国放送コンクール
(秋にやるのだが、選抜甲子園みたな感じ・・・。現在は行われていない)の
2大会を目指し作品を作る為、毎日活動をしていた。
最初に担当させてもらった番組は、
一年生の時に水泳部を追いかけた番組だった。
僕が卒業して何年か後に、
あの岩崎恭子(バルセロナオリンピック金メダリスト)が
日大三島高校に入学したくらいだから、静岡県高校水泳界では、
結構有名だったんではないだろうか?
ただ、
もちろん一年生をメインにやらせてくれるわけもないので、
今で言うカメラアシスタントみたいな感じで参加していた。
結局、この作品は、NHK県大会で、3位。
ちょっと、なおした千代田大会では、全国の佳作(ベスト10くらい)
と、そこそこだった。
ただ僕は、あまり参加していない・・・。
本格的にカメラをやらしてもらったのは、次の作品。
三年生が引退し、活動が1・2年生中心になった時のこと。
僕らの次なるターゲットは、
女子ソフトボール部。
練習がものすごく厳しいので、
スポコンものを・・。というテーマのもと、
新番組にメインカメラマンとして参加!(1年生の冬)
このあたりから、
勉強より部活の方が断然楽しくなり
教師になるという夢なんか忘れてしまって、
部活、部活あけてもくれても、
部活一筋になってしまった。
つづく