tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレスF
初めてのコンサート

ボクがニユーテレスに入って
初めてコンサートの仕事がやってきた。
1988年7月21日

今で言う
「海の日」が制定された頃の話である。

テレビ東京の仕事で、
マリンコンサート’88in晴海
晴海ふ頭のとある広場(横はすぐ海)で行われた。
「海の日」制定を記念して(だと思ったんだけど・・・・?)
のコンサートだった。

出演者は、当時人気のあった
デーモン小暮率いる聖飢魔U
これまた当時人気のあった(?)
TOPS(知ってる?)の二組。
カメラ台数は、

5カメスウィッチング+1ENGという6台
現在のコンサート収録からすると格段に少ない。
CCDカメラ
という小型カメラもない、
もちろん
デジカムもない時代なので、本当にSW命である。
カメラのポジションは
1カメは、下手3段イントレ上
(スタンダードカメラ:スタジオで使う大きいカメラ)
カメラマンは、田中さん(SJ社長)
2カメは、お客の最後列中央。イントレ上(これもスタンダードカメラ)
カメラマンは、島本さん。
3カメは上手、移動が出来るキャスタードリー。(タイヤの付けてある三脚)
カメラマンは、河西さん。
4カメは、舞台下
レールカメラ
(電車のレールのようなものにカメラが乗る。これもスタンダードカメラ)
カメラマンは、藤江さん。
5カメは、ハンディカメラ。ケーブルは100m。
カメラマンは中島さん(SJ副社長)
ENGカメラは花島さん。

そして
SWは岩沢さん
結果的に、出来上がった作品は、
今、ボクが見てもとっても素晴らしい。
華麗とも言えるSWワークと、
カメラマンのセンスのよさとチームワーク。
今、こんな作品にめぐりあいたいと願うような作品である。

そんな歴史的な(ちょっと大げさかな・・・?)LIVEにボクは
カメラアシスタントとして参加している。

アシスタントの
チーフは小川さんだった。ボクはセカンド。
小川さんは4カメのレールを押す役目だった。
(特機屋さんが来なく、カメアシがレールを押すという仕事もよくあった)
ボクはというと、
その4カメ(レールカメラ)のケーブルさばきだった。

アシスタントの数は確か、5人で
ボクたちレールカメラに2人。
中島さんのハンディに2人。
河西さんの3カメに一人。計5名。

おいおい!ちょっと待て!!

オレ一人でレールカメラかい!?
と思った時はもう遅く、
一人で
あの動きの速いレールカメラをさばく事になってしまっていた。


カメラ調整をしている時に
ちょっとしたアクシデントが発生した。

VEさんたちが、
「ケーブルにアルミホイル!!」
と言った。
ボクは初めての経験だったんだけど
晴海と言う場所は、東京タワーの見通しがよく、
時々、電波障害が出るらしい。

そんなことで、スタンダードカメラのケーブルにアルミホイルを巻いた。
へー、こんなことするんだぁ・・・・。
と不思議に思ったものだ。
いよいよ、
本番がやってきた。
ボクはリハーサルの時に
これは大変だぞ!!死ぬ気でさばかなきゃ
カメラがレールの上でひっくり返るぞ!


びびっていた。そして気合を入れた。
本番開始!!

まずは
TOPSから・・・。
レールは曲のテンポによって、速く進んだり、ゆっくり進んだり。
(ほとんどが、早かったけど・・・)

バカ野郎!!早過ぎんだよ!
とか、
それじゃぁ、遅ぇえんだよ!!

という
藤江カメラマンの怒鳴り声が、
レールを押している小川さんの元に飛んだ!

小川さん頑張れ!
という気持ちはあったが、
正直、小川さんに声をかけられるほど、ボクには余裕がなかった。
なんと言ったって、巻いては出し、巻いては出し、という
オールナイトフジ状態だったし、
さらに、野外のコンサート会場はめちゃくちゃ広い。
必死だった。
しかも、この日の天気は
曇りで、
降んなきゃいいなぁ・・・。
と誰もが思っていた。その時
ポツリ!いけねぇ雨だ。
1カメ・2カメというイントレカメラは、アシスタントが本番中いない
ということで、あらかじめ雨対策はしてあったが、
レールカメラはしていなかった為あせって雨カバーをかけた。
その間、カメラは停止している。
でも本番は続いているので藤江さんは、画を撮り続けている。
雨がやんだ。
(中途半端な雨で、降ったりやんだり・・)
藤江さんは、
カバーはずせ!!と叫んだ。
ボクはあわててはずした。
おそらく、
ものすごくやりづらかったんだろう・・・。
でも、運悪くまた降ってきた!
雨カバーだ!!

藤江さんもテンパっていた。
もちろんボクらはもっとテンパっていた。

何度かそんな事を繰り返しているうちに雨は本格的に止んだ。
そんな、
最初のバンドの後半に
ボクのケーブルさばきを
後ろから戻る時だけ引っ張ってくれた人がいた。

当時ニユーテレスには
車輌担当の人がいて、
(ニユーテレス・ハイエースの運転手)
秋山さんという方なんだけど、
ものすごく楽になった

助かったぁ・・・・。
しかも、
1ステージ目と2ステージ目の間の小休憩の時に、
ウーロン茶をボクと小川さんに持ってきてくれた

ボクは今まで(34歳の今でも)、
この時飲んだウーロン茶が人生で一番うまかった。

そして2ステージ目
聖飢魔U
知っている曲が多くて楽しかったんだけど、
基本的に

ハードロックなので、きつかった。

小川さんもノッていたみたいで、
速い速い
途中で
中島さんのハンディが、
レールに乗りたいと言って
2台のカメラをレールに載せた切り替えしみたいなSWもやった。
こんな技もあるんだな・・・。

と感心しつつ、
ボクはケーブルをさばいていた。
面白かったのは、
出来上がりを見たときに、
中島さんがステージに乗って
デーモン小暮に近づいて撮ろうとしたときに、
デーモンが水鉄砲で中島さんの股間を攻撃していた。

そう言えば、中島さん文句言っていたっけ・・・。


そんなこんなでLIVEは終了した。
撤収が終わった頃、
河西さんが先輩達に攻められていた。
お前、何の為にタイヤ付いているんだよ!

インカムは聞いていなかったのでわからなかったのだけど
そんなことがあったのかぁ・・・。
と思った。
もっと、移動していろんな画挙げろよ!
という意味だろうか・・・?
しかし、出来上がりを見ても問題はなかったように思った。
ボクは、ニユーテレスは、
普通ではなく常にもう一歩先を目指しているんだ、
ということをこの時本当に思った。

河西さんのカメラワークのどこが???
今の辻が見ると、
確かに1ポジションという感はあるけど
そんなに問題はないように思うけど・・・。


とにかく、
ボクにとっての初めてのLIVEは、こんな感じだった。
今、こんなSWメインのライブをやってみたい。
ぜひ、
岩沢さんのSWで・・・・。

つづく