tsuji-cam's HISTORY
ニユーテレス
D


まだまだ、
ニユーテレス入社前の
アルバイト時代の話は続きます。

ボクが、ニユーテレスでアルバイトを始めて
2週間たった日のこと。
その日の仕事は、フジテレビの
「桃色学園都市宣言」という
夕やけニャンニャンの後番組、午後5時からの生放送である。
その日のカメラアシスタントは、ボクととある先輩の
2人だった。
(生放送なのに、カメアシ2人なんて今では考えられない。
カメラ台数は確か、スタンダードカメラ3台+ハンディ1台))


カメラ調整の時
のことだ。
当時のハンディカメラは毎日、横のフタを開けて、
いろいろな調整ネジを回していた。

これがまた
複雑で、
回すところの名前を覚えるのが一苦労だった。
アルバイト2週間の(と言っても毎日じゃない)ボクは
まだ、その名前と場所を覚えていなかった。

その時!

お前、まだそんな事も覚えていないのか!!!!
と、ボクは先輩アシスタントに
怒鳴られてしまった
「誰かやってくれると思ってるから覚えないんだよ
自分でやるようにしろよ!!

図星である。

こんなのまだボクの仕事じゃない的な考え

ばれてしまったような気がした。
「今度、俺と一緒の時に出来なかったら
たたじゃおかないからな!」

こ、こわい・・・・・・・。
でも、
先輩の言っていることは正論で、
なんとかしなきゃ!
と尻に火を点けられた感じがした。

さらに、ビックリした事に、その先輩が、
本番中は
3カメを担当していたのだ。

いわゆる、
カメラマン兼アシスタントだったのだ。
多分その日のニユーテレスは、物凄く忙しかったのだろう。
結局、生放送中スタンダードカメラはほとんど固定で、
残ったボクは、ハンディのアシスタントをやった。
いきなりでドキドキしたものだ


ちょっと、話は横道にそれますが、
普段、ボクが若いカメラマンやアシスタントのやつらに言っている、
言葉があるんですが、
実は
ボクの言葉のほとんどは、ニユーテレス時代の、
ボクの
上司であり、師匠であった
岩沢忠夫さんという方の教えが、
ほとんどである。

岩沢さんは、
オレたちひょうきん族
志村けんのだいじょうぶだぁ

などの
スウィッチャーさんであり、
複数のカメラを使ったスウィッチングワークは、
ボクは、岩沢さんに育てていただいた。

その岩沢さんに、ある日こんな事を言われた。
「いいか、辻。
自分とあまり離れていない先輩を一人見つけ
その人を追い越そうと努力をするんじゃなくて
その人に
差を広げられないよう
にする努力をしなさい。」
と。
ボクは、
なるほど。いい考えだなぁ・・・。と感動をしてしまった。
そこで、ボクがこの人だ!と目標にした先輩が、
あの
生放送の日に怒鳴られた先輩
河西 純先輩である。
奥さんは
「ウリナリ!!」の音響効果の保苅智子さんである。
ボク的には、今は奥さんと会う機会の方が多い・・。

河西さんはボクの
2つ上の先輩(歳も2つ上)で、
天才カメアシ鈴木さんと同期にあたる。
河西さんを目標にしようと思ったのは、
ボクがやりたくてやりたくて仕方がなかった
オールナイト・フジのハンディカメラマンを
2年目にしてやっていたからだ。

そんな河西さんのハンディのカメラアシスタントとして
桃色学園都市宣言のエンディングテーマを撮った時の話だ。
この番組のエンディングテーマは
なんと!
あの
チャゲ&飛鳥
♪あきらめのBLUE DAY
 という曲だった。
しかも、
月曜から金曜まで毎日同じ映像が流れる。
ボクは初めてだった。
小川さんのケーブルさばきを見様見真似で真似していた。
「台本!」
怒鳴られた!

カット割されている台本を河西カメラマンに見せる。
そして次の瞬間、
ドリー(ハンディの三脚を移動させる台車のような機材)
の上に乗ったカメラがケーブルの上を通ってしまった。

ガタッ!!

カメラが揺れた。

運が悪い事に、
赤いタリーランプがハンディに点灯している。
さらに運が悪い事には、時間の都合もあったんだろうけど
そのテイクでOKになってしまった。
(撮りなおしている時間がなかったんだろう・・)

その日からオンエアーでは、毎日、
その僕のミスでガタッ!とカメラが揺れる映像が流された。

見るたびの
俺のせいだ・・・・・・
と落ち込んだ。
河西さんは「お前のせいで・・・」みたいなことは言わなかった。
でも、きっと悔しかったに違いない。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

その時ボクは、
よし!
河西さんを、岩沢さんのいう
差を広げられずについていく先輩にしよう

と決めた。
2年後の12月、
オレはオールナイト・フジで
ハンディカメラマンになってみせる!!

そう誓った。


そして
ボクがカメラマンになり、
オールナイト・フジでハンディカメラを任命されたのは
なんと偶然にも2年目の12月。

なんとか、この時点では差は広げられてはいないようであった。
では、
今の辻と河西さんは2年の差はどうなっているのだろう。
河西さんは、
もうたくさんのSWの仕事もやられているみたいだし・・・・・。

広げられていないものか?

やや不安である。
でも、
ボクにとっては、河西さんという方は永遠に、
差を広げられたくない目標となる先輩である・・。

つづく